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震災の日、家に帰っていたらベッドをおくはずのところの本棚が倒れて、
大変なことになっていたのですが、病院にいたので何事もなく助かりました。
1月25日、高槻医大の先生から私に電話があって、血液検査の結果の話がありました。
そのとき先生から遥香がダウン症であることを告げられました。
そして、妻に、その事を話しました。
私「もしかしたらダウン症かもしれへんそうや」
妻「ダウン症てなに」
私「染色体の異常の病気や」
妻「染色体の異常てどうなるの」
私「発達が遅れて知恵遅れになるそうや」。
その時、時間が止まりました。しばらくどちらもことばが続きませんでした。
しばらくして家に何冊か家庭の医学書があったので私と妻は早速ダウン症について調べました。
染色体の異常、精神発達遅滞、知恵遅れ、蒙古症、読むにつれてふたりは大変なショックを受けました。
しかし、成長すると人に愛される性格であると書かれてたので、成長できる病気なんだと少しは心が落ち着きました。
私「そやから二人で大事に育てたろ」
妻「うん」・・・・・。
遥香は生まれて私たち夫婦にいっぱい夢と希望を与えてくれたのに、
遥香にこんなにしんどい事を背負わせてしまったことが大変かなしくて私たちは涙が止まりませんでした。
翌日病院から二人で結果を聞きにくるようにといわれて、まだ半分は信じられない思いと、
先生からなにを聞かされるのか不安な気持ちで私たちは病院に行きました。
病院につくまで私たち夫婦は黙ったまま、車のラジオから流れる音や車外の音は何も耳には聞こえませんでした。
病院について、そこで先生から遥香の状況についての詳しいことを聞くことが出来ました。
先生は心臓の図を持ってきて、遥香の症状を詳しく説明してくれました。
病名は21トリソミー(21番目の染色体が1本多い病気)と言われる種類のダウン症。
心臓は奇形で動脈管開存と心房中隔欠損の2カ所心臓に穴が開いていると言うことでした。
私たち夫婦は、ふるえる気持ちをこらえてどうしたらいいのか先生に聞きました。
心臓の方は、手術をするにしても出来るだけ遅い方がいいとのことで、
1年先に手術をするかどうか様子を見ていこうということになりました。
ダウン症は治らないけども、早期療育でかなりのことが出来るようになるとのことで、
「子どもの城」という療育施設があることを紹介していただきました。
ちょうどその日(1月26日)の夜は毎年恒例の中村後援会新年総会のある日でした。
遥香のこと、ダウン症のことで頭がいっぱいになりながらも、
私たち夫婦はそのことを顔に出さず、誰にもうち明けることなく最後まで後援会の人たちには笑顔で接しながら総会をやりきりました。
総会が終わると遥香のことで頭がいっぱいです。
家に帰ってからも、「なんでうちの子が・・・」そんな思いが何度もこみ上げてきて涙が止まりませんでした。
翌日長男と次男そしておばあちゃんに遥香のことを話しました。
長男の和樹、次男の信輔、おばあちゃんと夫婦。
私たちは、病院の先生から聞いた遥香のダウン症のこと心臓奇形のこと、知恵遅れの事を話しました。
みんな涙を浮かべながら聞いていました。でも子どもたちはしっかりしていました。
それまで、もしかしたら遥香は死んでしまうのではないかと心配していたので、
「でも遥香は生きてんねやろ。良かったやん」と信輔が言いました。
その言葉を聞いて妻ははっとしました。「遥香は生きている」「よかった」「しっかり育てたろ」「親がしっかりしなあかん。がんばろ。」「障害があるからといって親が泣いてたらあかん。」
2月4日はれて遥香は退院しました。
体重2840グラム、身長51.5センチ。先生から聞いた早期療育、
「子どもの城」へ早く連れていこう。そんな思いでいっぱいでした。
私たち夫婦は共稼ぎのため、上の子二人の時には、産休明けで保育所に入所させてきましたが。
遥香のために妻が1年間育児休暇を取ることにしました。
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